単刀直入に世間が騒いでいるオチの話からする。
あれはダメ。
普段映画やアニメをよく見る人にとって「実は作品の世界は意図的に造られたものであるというのは使い古されたオチ」であり、そうでない人にとっては「せっかくファンタジーな気分に浸って楽しんでいたのにいきなり水をぶっかけられたように興ざめさせられるオチ」だった。
わたしは前者だが、エヴァンゲリオンで散々精神世界で禅問答をさせられ、マトリックスでもしかしたら自分の人生は壮大な仮想現実なのかと疑い、うる星やつらビューティフルドリーマーやら女神異聞録ペルソナやらSSSS.GRIDMANやらで個人の心の中に囚われたのち現実に帰れを繰り返し体験してきた世代なので正直「ふーん」である。
20年前だったら理系の大学生から支持されただろうが、もう令和である。
時代遅れすぎる。
以上は映画テーマとしての失敗だけど、それとは別にストーリー上のつまらなさも感じる。
ラスボスがウィルスっていうのが安易だし、そのアンチウィルス(解決策)が主人公のすぐ側にいたスラりんだったっていうのも唐突で安易である。
陳腐なラスボスに陳腐な解決方法で終わるというのが単純に映画としておもしろくない。
尺の都合でダイジェストにならざるを得なかったというのなら最初からないほうがよかったし、このエンディングを採用した時点で失敗だったという他ない。
誰も得をしないし、誰も評価しないだろう。
わたし自身は受け入れられないことはないけど、別にそれがいいとも思ってない。
というのが正直な感想。
以下、そのオチの話は忘れてそれ以外の話をいつも通り思いつくまま殴り書き。
オチ以外はよかった。
ドラクエVの熱狂的な信者の方々は主人公の娘が出てこなかったり、あれがないこれが改変されてると怒る人もいるだろうけど、
関係ないけどわたし昨日スパイダーマン:スパイダーバースっていうアニメ映画を見たんだけど平行世界(マルチバース)のスパイダーマンが次元を超えてひとつの世界で共闘するっていうアニメなんだけどすごくおもしろくて傑作なんだけど、
ドラクエユアストーリーもドラクエVのマルチバースのひとつだと思って視聴に臨んでるので、これも世界の可能性のひとつだというスタンスで観れば全部受け入れられるのだ。
例えばグランバニアの名前をなぜビアンカが知ってるのかとか、そのくせグランバニア出てこないのかとか原作ファンには不満だろうけども、わたしはこの世界ではグランバニアはただの名前だと思えば気にならないので。
ブオーンが仲間になるのはドラクエVしかプレイしてない人にとっては違和感の塊だろうが、ドラクエXをやっている人にはすんなり受け入れられるだろうと思った。なんならプオーンも出してくれよぐらいの気持ちだ。
ビアンカとフローラはすごくかわいかった。キャラクターのアニメーションや映像については不満はない。よく動くし表情豊かで愛嬌がある。ルドマンさんだけ違うアニメから来たように動きが特殊だった気がする。あれは風邪薬のコンタ〇クくんの動きではなかろうか。
セントベレス?(名前うろ覚えなので間違ってたらすいません)の石造りの街並みもきれいだったし、サンタローズの雪原もドラクエXやXIのマップのようで背景美術はとてもよかった。
鎧を着たヘンリーが三国無双の武将みたいだった。
音楽は本編の曲をそのまま使用しているので楽曲自体はとてもすばらしいことは間違いないのだが、使用するタイミングには若干の不満がある。
例えば序曲。ドラゴンクエストのメインテーマである序曲を3回も4回も乱用してるのがいただけない。
わたしなら序曲はオープニングで使うかエンディングで使うか、使用は作中で1回もしくは2回まで、ここぞというところでしか使用しないものとする。序曲が流れたときの興奮と感動を集約させたい、じゃないと曲の価値が安っぽくなってしまうじゃあないか。ドラクエXのストーリーでの楽曲使用演出を見習ってほしい。
それと早く久美沙織さんに謝ってほしい(唐突)。
昔のドラクエはプログラムがシンプルなぶん、行間をプレイヤーに想像させるという特徴があった。なので映画を観ていると時々ゲームをプレイしてる時の気持ちがフラッシュバックして泣きそうになるシーンがいくつかあった。映画の内容が自分の想像で考えてたこととリンクしてくるからだ。
こういう体験をしたくて映画館に来たのだから、それだけでも価値がある。
この映画を楽しんだ人も楽しめなかった人も、
きっとドラクエVをもう一度遊びたくなったに違いない。
そりゃ売れるわ。(ゲームが)